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    2021.04.16
    Kのこんなデザイン見つけた!|番外編〈前編〉

    グラフィックデザイナーの平野甲賀氏が2021年3月22日に逝去されました。
    享年82歳、生涯現役のデザイナーを全うされたようです。
    装丁家としての活動がメインであった印象が強く、独創性のあるタイポグラフィーはいい意味で癖があるので、本屋をぐるっと見て回ると彼の手掛けた装丁が目につく確率も高かったように思います。
    またDTPの波にも早くから乗りIllustratorやQuark Xpressなどの記事と併せたインタビューも何度か目にしたことを記憶しています。

    ここで話は2019年8月へと遡ります。
    長野県松本市には松本タイポグラフィ研究会という活動拠点がありまして、端的に言えば都市圏と同等レベルで活字、組版、デザインの知識および技術の向上を図ろうという提唱のもとにつくられた、デザインを生業にする方々には非常に尊い場なのですが、そこで平野甲賀氏によるセミナーが催されるということで松本市まで遠征して拝聴してきました。

    セミナー会場はかつて映画館だったという施設を改装した多目的ホール上土劇場
    舞台の端に設えられた長机に平野氏と進行役である研究会代表の白木氏が座り、スクリーンに映像を投影しながらトークしていくという形式でした。

    東日本大震災を機に東京を離れて香川県高松市へと活動拠点を移したという話から始まり、デザイン業を始めた当初は劇団黒テントのポスター作成の他、大道具や衣装など制作全般にわたっても関わっていたそうで、寺山修司率いる天井桟敷のポスターを例に、当時アングラ劇団ブームだったあの時代は劇団の仕事は露出度も高いことからデザイナー達にもひっぱりだこな存在だったとのこと。
    そうやって劇団の仕事で培った書き文字の技法を本の装丁にも反映させるようになったそうですが、当初は文字の作りを削ぎ落とし過ぎたためか読めないと不評だった頃もあったようです。それだけ斬新だったのでしょうね。まだ受け入れられる土壌が育っていなかったという意味でも。
    そんな中で自身のスタイルを貫けたのは何故なのか。若さゆえの冒険心もあったのでしょうが文字に対す普遍的な共感性を信じていたからなのかなと。タイポグラフィというビジュアルから受ける印象は共通言語として機能するはずというか。
    そういう点で書き文字は書道の世界とも重なる部分があるのかもというのが私の受けた印象でした。自身の情景を発露したものという意味合いで。
    ただやはり職人気質なところもあったそうで、手癖がでないように定規や雲形定規を使ってご自身の個性が透けて見えないように気を使っていたとの事でした。

    彼の話で印象的だったのが丸ゴシックの話でした。
    「この書体は質屋や病院名、薬の箱などによく使われるけれど、なにか神経を逆なでするものを感じる。文字の佇まいは好きだけれど優しいふりをして実は内面には怖いものを内包している」
    文字と真っ向に向き合って勝負している人ならではの感性だなと感じました。
    装丁の仕事が忙しいときは自主制作として架空装丁を作って発散していたなんて話もでて、デザイナーあるあるだなと思わず苦笑。

    セミナーが行われた当時は御年80歳だったかと思いますが、ものづくりに長年打ち込んできた人のお話は声量こそ張りは衰えたとしても発する言葉自体には含蓄が感じ取れ、共感できるものがところどころにあり聞いていて沁み入るような心持ちでした。
    私もああなりたいなどとは軽率には言いませんが、表に出す出さないに関係なく何かを常に作り続けている人ではありたいなと思いつつセミナー会場を後にしました。


    下の写真はセミナー会場のロビーに展示されてあった作品群です。
    ご覧の通り上からも下からも読める回分となっている「逆さことば」です。
    転居された高松市にて平野氏が始められた新しい試みとして同市の小さな教室で「文字の勉強」という講習会を行っていたそうですが、その元になったものとして1990年に絵本作家の石津ちひろさんと仕事をされた際に制作したものが飾られてあったものです。
    書かれた逆さことばの情景を想像して、思わずくすっとなりました。

    今回はここまで。次回後編へと続きます。

    〈writing:兼松〉

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